
歯科衛生士の離職は、歯科医院の運営に多大な影響を与えるため、定着率を向上させる施策が急務です。歯科衛生士が長く安定して働ける環境を提供するためには、職場内の人間関係の改善や業務負担の軽減、福利厚生の充実など、多角的な取り組みが求められます。この記事では、歯科衛生士の定着率向上に向けた施策を紹介します。
歯科衛生士の離職率は70%を超えている
歯科衛生士の離職率は70%を超えており、その離職率の高さは、歯科医療業界における深刻な課題のひとつです。約76%が転職を経験
2020年に実施された「歯科衛生士の勤務実態調査報告書」によると、歯科衛生士の76.4%が1回以上転職したことがあり、そのうち半数以上は複数回の転職を経験していることが明らかになりました。つまり、業界全体で見れば、就業している歯科衛生士の大多数が一度は離職を経験している計算になります。さらに、名簿登録上の歯科衛生士は、2020年時点で約30万人にのぼる一方、実際に職場で働いている就業者数は約14万人にとどまっています。この差し引き約16万人の歯科衛生士は、資格を保有しながらも現場に戻っていない、いわゆる潜在的な歯科衛生士と呼ばれる層です。
そして、約14万人の現役歯科衛生士のうちの約76%、およそ11万人が職場を変えた経験があるということになります。
歯科医院には多くの課題がある
これらのデータから、歯科医院には、安定的な就業を阻む多くの課題があり、歯科衛生士として働き続けるためには、職場を変えながら自分に合う環境を模索する必要がある、という実情が浮き彫りになります。加えて、歯科衛生士の離職率が高い課題に対しては、離職後に再就職を望まない、あるいは望んでいても歯科医院に戻れなくなっているという事実にも注目しなければなりません。
歯科衛生士の離職率が高い理由とは
歯科衛生士の離職率の高さは、歯科業界全体が抱える深刻な課題のひとつです。歯科医院の現場で重要な役割を果たす存在であるにもかかわらず、資格を取得しても長く働き続けられないという現状には、複数のマイナス要因が絡み合っています。ここでは、歯科衛生士の離職率が高い理由について解説します。
家庭の事情
歯科衛生士の離職率が高くなってしまう大きな理由として挙げられるのが、家庭の事情です。日本歯科衛生士会が2020年3月に発表した「歯科衛生士の勤務実態調査報告書」によると、歯科衛生士の就業者の99%が女性で占められています。このように、女性が圧倒的に多い職種であるため、結婚や出産、子育てといったライフステージの変化がキャリアに大きく影響を与えやすいのが実情です。配偶者の転勤による引っ越しや、親の介護などの家庭の事情で離職を選ぶケースも少なくありません。
こうした私生活上の変化は、本人の意思とは関係なく、歯科衛生士として就労継続を困難にする大きな要因となっています。
人間関係
人間関係の問題にも注目しなければなりません。人間関係の問題は、育児や出産に次いで多い退職理由で、歯科医院が解決しなければならない重大な課題です。歯科医療の現場は少人数で構成されていることが多く、院長やスタッフとの関係性が職場環境に直結しやすい特徴があります。職場の雰囲気やコミュニケーションの取り方に問題があると、日々の業務にストレスを感じることになり、それが退職へと発展してしまいます。なかには、価値観の違いや不十分な指導、あるいはハラスメントが原因となって職場を去る事例も見受けられるなど、居心地がよくない職場が退職者を生む土壌となっているのです。
厳しい労働環境
さらに、労働環境の厳しさも離職の大きな原因です。多くの歯科医院が慢性的な人手不足に悩まされており、限られたスタッフで多くの患者に対応しなければならないケースが少なくありません。そのため、予約変更や急患への対応などで臨機応変な働き方を求められる場面が多く、業務の負荷が増加しやすい傾向にあります。加えて、診療前の準備や診療後の片付けといった時間外業務も含めると、拘束時間が1日12時間におよぶこともめずらしくありません。こうした過酷な労働条件が、心身の疲弊を招き、離職につながっているのです。
待遇が悪い
待遇への不満も見逃せない要因です。歯科衛生士の平均年収は約370万円とされており、女性全体の平均年収である約350万円と比較するとやや上回ってはいますが、業務の専門性や責任の重さを考慮すると、決して高いとはいえません。長時間労働に見合った対価が得られていないという実感から、報酬面への不満が離職動機となるケースも多いようです。年収は、勤続年数や経験によって増えることもありますが、歯科業界全体としては、歯科衛生士の待遇の底上げが必要でしょう。
転職しやすい
さまざまな課題がある状況下では、歯科衛生士の転職はめずらしいものではなくなります。加えて、有効求人倍率の高さも転職を後押しする一因となっています。全国歯科衛生士教育協議会によると、2022年度の歯科衛生士の求人倍率は22.6倍に達しており、これは、ひとりの歯科衛生士に対して22以上の求人がある状態です。これだけの売り手市場であれば、今の職場に不満があっても「他にいくらでも働き口がある」と感じやすく、結果として転職や離職のハードルが下がってしまうのです。
多職種への関心
他業種への関心も、離職率を押し上げる要因のひとつです。歯科衛生士としてのスキルは多方面で応用可能であり、とくに手先の器用さを活かしてエステティシャンやネイリストに転身したり、コミュニケーション能力を活かして営業職に転職したりと、異業種へのチャレンジを選ぶ人も多いです。歯科衛生士の待遇が必ずしも高くない現状を踏まえ、専門職としての強みを活かし、より自分らしい働き方を模索する流れが広がっています。
解決すべき複数の要因が定着を妨げている
就業者数と登録者数の差は16万人と非常に多く、これほどまでに差が開いている背景には、職場環境や待遇への不満、転職の容易さ、人間関係のストレスなど、さまざまな理由があると考えられます。とくに小規模な歯科医院では、勤務体制の柔軟性に乏しかったり、ひとりが受けもつ業務内容が多岐にわたったりすることで、より疲弊してしまうケースも少なくありません。給料も大きな医院にくらべれば少ない傾向にあり、ただでさえ高い有効求人倍率により、転職は容易です。「これだけ働いても報われない」と考える歯科衛生士が退職し、よりよい医院に人材が流出してしまうということも発生しているでしょう。このような要因は、離職を招くだけではなく、復職へのハードルを上げている原因のひとつです。対策として、あらたに人材を採用して補填するだけではなく、こうした離職要因をひとつひとつ解消し、定着しやすい環境を整備することが、歯科医院の持続的な成長には欠かせません。離職率の高さがもたらす悪影響
歯科衛生士の離職率が高い状態が続くと、医院単体にとどまらず、業界全体に深刻な影響が発生します。人材確保がむずかしくなるだけではなく、医療サービスの質や患者満足度の低下、働くスタッフの負担増加など、多方面に悪影響が広がります。業務負担の増加
現場で働く既存のスタッフにとっては、離職者が出るたびに業務の負担が大きくなります。歯科衛生士の仕事は、診療補助や予防処置だけではなく、歯科器材の準備や在庫管理、受付対応、さらには後輩指導といった業務まで多岐にわたります。それらすべてを限られた人数でこなす必要があり、業務量の増加とともに、精神的・身体的ストレスも増してしまうでしょう。
キャリアの不透明化
歯科衛生士の離職率の高さは、職場におけるキャリア形成の障害にもなります。歯科衛生士としての経験を重ねながらスキルを高めることは重要ですが、定着率が低いと、経験豊富な先輩スタッフが少なくなり、新人が学べる環境が整いません。結果として、若手がスキルアップの機会を失い、将来像を描けずにさらに離職を選ぶという悪循環が生まれてしまいます。キャリアパスが不透明な職場では、働くモチベーションの維持がむずかしくなるでしょう。
患者の信頼減少
歯科衛生士の離職は、医院で治療する患者にも大きな影響を与えます。歯科衛生士は、患者との信頼関係を築くキーパーソンです。担当していたスタッフが突然いなくなれば、信頼できる人がいなくなってしまうといった不信感が生まれかねません。こうした心理的な不安は、治療に対する満足度の低下や医院への不信感、さらには転院にもつながります。患者の不満が積み重なれば、医院の評判や経営への悪影響は避けられなくなるでしょう。
地方の歯科医療サービス衰退
歯科衛生士の離職が増加すると、歯科業界全体としての人材の需給バランスが崩れてしまいます。高齢化社会の進展にともない、歯科医療の需要は年々増加していますが、それに応じた歯科衛生士の確保がまったく追いついていないのが現状です。とくに、地方や過疎地域では深刻な人材不足が続いており、地域住民が必要な医療サービスを受けられない事態が起こる可能性があります。
定着率向上は急務
このように、歯科衛生士の離職率が高いことは、単なる人手不足にとどまらず、現場スタッフの疲弊、若手人材の育成困難、患者の不信感、地域医療の衰退など、数々の悪影響をもたらします。定着率を高めるための環境整備は、急務といえるでしょう。歯科衛生士の定着率を上げるにはどうすればいい?
歯科医院にとって、優秀な歯科衛生士を安定的に確保することは、医療の質を保ち、医院運営を円滑にするうえで欠かせません。しかしながら、歯科衛生士の定着率が低く、採用してもすぐに辞めてしまう環境では、根本的な解決にはなりません。ここでは、歯科衛生士が長く安心して働ける環境を整えるために、実践すべき対策をくわしく解説します。重視すべき点は、単に人を採って補填するのではなく、人が定着し、活躍できる環境づくりに目を向けることです。
具体的には、適切な人員配置による業務負担の軽減、キャリアアップ支援の充実、コミュニケーションを重視した職場づくり、そして働きやすさを意識した、柔軟な勤務体制の導入などが求められます。
労働環境の整備
労働環境を整備することは、歯科衛生士の定着に直結する最重要施策です。健康保険や雇用保険などの基本的な福利厚生が整っているかどうかは、長く安心して働くための最低ラインです。さらに休暇制度を充実させたり、歯科衛生士にプラスになる福利厚生を追加したりするなど、求職者から魅力にうつるような歯科医院を目指しましょう。また、制度があるだけではなく、それをスタッフが正しく理解し、活用できるような周知と運用も必要です。福利厚生の充実は、医院の信頼性の高さや働きやすさを示す指標にもなり、採用活動においても大きなアピールポイントになります。
また、新人の成長を支援する教育体制の強化も、離職を防ぐ重要な要素です。現場でのOJTに頼るだけではなく、教育担当者や体系的なカリキュラムを設けることで、着実なスキルアップを促せます。院長がみずから勉強会を企画したり、外部セミナーへの参加を推奨したりといった取り組みも有効です。
自分の成長が実感できる環境は、歯科衛生士のモチベーション向上にもつながり、定着率向上に寄与するでしょう。
コミュニケーションの増加
職場の人間関係の改善も、優先的に手をつけるべきです。歯科衛生士が退職を決意する大きな要因のひとつに、スタッフ間の人間関係の悪化があります。スタッフ同士の信頼関係は、患者との良好な関係構築と同様に、業務の円滑化に直結する重要な要素です。定期的なミーティングや情報共有の場を設け、役割や意見をすり合わせることで、職場全体のチームワークが高まります。また、新たな人材を採用する際には、既存のスタッフと相性がよさそうかどうか、面接後に意見を求めることも重要です。採用の意思決定を院長ひとりに任せるのではなく、現場の声を反映させることで、職場にフィットする人材を迎え入れやすくなるでしょう。
業務効率化
日々の業務におけるストレスを軽減するには、業務の効率化が欠かせません。歯科衛生士が本来の業務に集中できるよう、ルーティンワークや雑務は極力システムで処理する体制を整えましょう。たとえば、電子カルテや予約システムの導入は、業務の省力化と患者サービスの質向上を同時に実現できます。こうした取り組みは、スタッフの余裕を生み出すだけではなく、医院全体の生産性向上にもつながり、経営効率の向上も実現する施策です。
採用過程を再考する
歯科衛生士の採用過程そのものにも、工夫が求められます。どのような人材を求めているのか、年齢やスキル、価値観などを明確に定義し、求人広告や面接時にその方向性をきちんと伝えることが肝心です。また、応募者に対しては、迅速かつていねいな対応を徹底しましょう。面接までのやりとりや院内の案内時に受ける印象は、応募者にとって職場選びの重要な判断材料です。非常に高い有効求人倍率により、超売り手市場ともいえる歯科医療業界で、人材確保は困難を極めています。
ここで好印象を与えられれば、他院との比較において優位に立てるでしょう。
主体性を尊重する
歯科衛生士ひとりひとりの主体性を尊重することも忘れてはなりません。中途入職の歯科衛生士の中には、これまでの経験をもとに自分なりのスタイルを大切にしたいという方もいるでしょう。歯科衛生士に一定の裁量を与えることで、自発的に働き続けたいという気持ちを引き出せます。ただし、統制が取れなくなる可能性があるため、あくまで医院の方針とのバランスを保ちつつ運用することが大切です。
採用代行サービスの活用
このように、歯科衛生士の定着率を高めるためには、福利厚生の充実、業務効率化、人間関係や採用方針の見直し、教育体制の整備など、複数の観点から対策を講じることが必要です。場合によっては、歯科医院の採用活動を専門に支援する採用代行サービスを活用するのもひとつの手段です。外部の専門家の視点を取り入れることで、より客観的かつ効果的な施策を実行できるでしょう。